テクノロジーの本質とは

 YouTubeの広告を見ていましたら、ローランドが作っているエアロフォンと言う名のサックスのような楽器を知りました。

 その瞬間、直感を得ました。電子楽器を嫌い昔ながらの物を是とする考え方があるのは知っていますし、私自身もそのような思考を持っています。そのため、車やバイクはMTが好きだし、楽器はアナログを好みます。

 しかし、それら旧式の物が主流派となる以前はどうだったのか?歌や打楽器が主だったのかも知れません。つまりは現代では古典的と呼ばれる物すら、ある時点では目新しい変わった楽器だったのです。
 オルガンやハープシコードからピアノへ移ってきたように、それらは変化してゆきます。

 車やバイクのMTが技術革新により(人間が操作不要と言う意味での)クラッチレスになり、操作から解放されよりライディングやドライビングに意識を集中させられる。
 音楽家が脳内で描いた通りの音像を具現化する電子楽器など、これらは結局、人間の脳内にある想像(創造)性をどれほど忠実に具体化できるかにかかっているのだと思います。

 究極は攻殻機動隊のように脳へ直接アクセスし、そこで創造された音楽や、欲しいギアを選択したりエンジン回転数を変えたりと、肉体を通さずに制御するのが究極なのかも知れません。

 ただ、これらの議論は肉体を通して操る楽しさを無視した、極めて直線的で安易な考え方とも思えます。人間は脳で刺激を感じているのであれば、最終的には擬似体験により脳内で全てを完結して仕舞えば、極論、一生眠っていても良い事になります。他者との接触も疑似信号、または信号による脳同士の触接通信で事足りてしまう。

 テクノロジーの本質が、人間の脳内にある物を具体化する事であるならば、その先は一体どのように変化してゆくのか。

 私が一番大切だと思うのは、その技術が歪なのかどうかを審美眼を持って判断することではないかと考えます。

 追記 ソードアートオンラインに出てきた話で、身体に大きな障害を持ち、自由に動けない。もっと言えば意識はあるのに一切の感情表現を絶たれた状態であれば、攻殻機動隊で言うところの電脳化により、肉体に依らない自由を手に入れる事ができ、その空間では身体を(感覚的に、または脳への信号として)持つ事が可能になり、重篤な障害者の方がある程度の(電脳空間において)身体的な自由を得られ、かなりの精神的負荷を軽減できるのであれば、それは素晴らしいと思います。