理論と物理現象

 理論的という評価は必ずしも良言葉ではないようです。

 聖飢魔Ⅱのギターリスト、エース清水長官の本を読んでいた時に見つけた印象深い言葉に「理論は感性の体系化」というのがありました。この真意はロックギタリストは音楽理論を嫌うが、有史以来積み重ねてきた音楽に対する感覚の「気持ち良い、悪い」を明確にしたものが音楽理論である、という意でした。

 これぞ正しくと思いますが、逆にとらえると理論とは感覚ともとらえられます。字面をとらえても理(ことわり)を論ずるなので、ある意見、判断、持論とも考えられます。ですから理論とは絶対的な物ではないと、私自身は考えます。

 それに反して物理現象とは、人間の判断が介在しない絶対的な現象なので、理論とは違います。物理現象の対極が感性だとしたら、少し物理現象よりの感性が理論かと思います。

 サスペンションとはスプリングとダンパーの物理現象を、感覚の体系化である理論でセットアップしてゆく、曖昧な行為です。その理論をここで「サスペンション理論」と便宜上呼びますが、このサスペンション理論はとてもふわふわした手触りです。一定のガイドラインにはなるのですが、個別の事例にかならず当てはまる物ではありません。

 サスペンションセッティングとはそれほど曖昧であり、その曖昧さを受け入れる寛容を持ち合わせなければ、事が上手く運ばないと感じる今日この頃です。

 上記文章を書いた後に、読み直しをして内容と文体の確認を行った際に、ふとひらめいたのですが「感性の体系化」=「気持ち良い、悪い」だとするなら、サスペンション理論は「感性の体系化」=「乗り心地良い(速い)悪い(遅い)」の集積とも言えます。

 

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