Mac miniから言語まで
作ってから考える
note https://note.com/sgfacendo/n/n8b92a328328f (有料マガジンの方もよろしくお願いします)にも書いたのですが、Mac mini(出なかったとしてもコンパクトのあPC)を四輪に常備する事で、何か面白くならないか考えています。
二輪、四輪問わず操縦、運転する楽しさは電子機器とは本質的に無関係です。しかし特に四輪においては実際の運用において、スマートフォンやタブレット等、またはそれらのミラーリングが普段使いの利便性を向上させます。
昨年は会社にPCを大量に導入しました。その前段階としてタブレットも活用したのですが、やはりPCとの比較では使い勝手が悪いと感じる面もありました。これは好みもあると思いますが・・・
実際に行動に移すかは別にして、作ってみてからその使い道を考えるのも、また一興という物です。
移動空間の活用
私は電車移動が極めて少ない仕事で、端末の充電に関してほとんど気にしていません。それは車中で常に電源供給があるからです。
であるなら出先で携帯電話、タブレットやラップトップをチマチマいじるよりも、15インチ程度のディスプレイを用意し、入力端末(キーボードなど)を用意すれば、会社にいるのと同様の環境を移動空間に作り出せます。
もちろんラップトップ(ノートPC)でも同様のことは可能ですが、デスクトップPCを常備する事でよりパワフルな作業が安価に可能となる様に思うのです。
ウィンドウズPCを使えば、車両マネジメントを車本体ではなく外部CPU、つまりはパソコンで常に書き換えや変化をもたらす事も可能ではないかと考えます。
私的生活においても
私は地上波TVというのを観ません。映像はほとんどYouTubeやAmazonプライム。音楽もYoutubeプレミアム、AmazonMusic、それにMusic bedを主としています。最近はCDやDVDをほとんど見ません。となれば車においてもプレイヤーを必要とせず、インターネット環境が重要となる訳で、それは携帯端末の小さい画面よりも、大きなディスプレイの方が快適なのです。
間違えない様に気をつける
敬愛する西部邁さんは常日頃から「テクノロジーを疑え」と言ってました。昨年からデジタル製品を活用する私自身も、そこを忘れない様に注意深く生きてゆかなければ、とんでも無い落とし穴が待ち受けているのでは?との疑義を感じています。
人間の本質はテクノロジーでは無い。これも西部さんの言葉を借りれば「人間の本質は言葉である」を思い出します。考えるという行為は言語の上に成り立ち、精神も言語があるからこそ明瞭になる。動物にも感情はありますが、言語が無いためにその色分けは非常に大雑把、または曖昧です。
これは度々言うのですが「赤」と言う色を知っていれば、それの表現は赤で伝わりますが、単語を知らなければ「血、フェラーリ、熟れたリンゴの色」などと曖昧です。ただ「赤」と言う名前を知っていれさえすればとても明瞭になります。全ての事はこの例えと同義だと私は考えています。
まとめ
テクノロジーはとても有益ですが、それを使うのは人間ですし、テクノロジーが何かをしてくれるのではなく、それを生み出した人間が大切なのです。
と言う訳で「人間の本質は言葉」であり「テクノロジーの本質は人間」であると、現状における一応の答えを公言しておきます。