数学は言葉
以前、サスペンション仲間(って変な表現ですが)と飲んでいた際に、私が「楽譜って外国語と同じですよ」と話したら、その方は「数学も言葉です」と教えてくれました。
今日購入した本にも数学は言葉とあり、その本を読むことで意味が少しだけ分かるようになりました。ただ、世の殆どの人間にとって数学は外来語と同義なので、(数学で)話をするのは負担が大きいと思います。私もイタリア語は好きですが、朝から晩までずっとイタリア語だと、少々辟易します。しかし、数学を母語として話せる人も稀にいるようなので、そういう方を数学の天才と呼ぶのかも知れません。
だいぶ前にNHKのラジオロシア語講座を聴いていましたが、講師の黒田龍之介さんという方の面白い語り口調に惹かれ、エッセイなどをかなり読み込みました。黒田さんは「母国語」と「母語」は違うと言います。日本国籍でも日本語が話せない人はいます。つまり母国語ではなく、他の言語が母語になる訳です。
数学の理解には国語力が大切だと度々耳にしますが、数学が言語の一種ならば「数言語」と呼ぶべき物の理解には、言語が必須なのは当然というべきでしょうか。
前述の本を読んで感じたのは、数学を言葉で説明されると非常に明瞭だという点です。ここに来て日本の学校教育の問題点を感じずにはいられません。小学2年の娘と一緒に夏休みの宿題を答え合わせした際、設問のくだらなさに閉口しました。こんな問題ばかりでは思考力のある人間は育たないと思います。