筋が通っているから正しいわけではない
政治に関する話をしようとは思いませんが、そこから得た着想を披露します。
なんとか学園だとか、獣医師会だのの議論を見ていた際に、ある弁護士が「あなたの言っていることは全て間違っている」と言いました。私にはその弁護士の論考というか話の道筋が納得できませんでした。つまり、どこに立脚しているかで正義、現実、真実までもが変わるのです。ただ、彼の集めた資料を基に筋を通せば、それはそれで正しい話になります。
見たくない物は蓋をして、見たい物と見やすい物だけで判断すれば、自ずと間違った結論に行き着きます。これが「筋が通っているからただしいわけではない」の真意です。しかし、人は自分が正しいと思い込みやすく、その正義を押し付けがちなのが、大多数の傾向(はたまた私自身の性癖)ではないでしょうか。
サスペンションのセットでも同様の事が起こります。見えない部分を探らずに、不十分な材料だけで判断すると、間違ったセットしか導きだせません。だから注意深く感じ、考えます。お客様から頂く話においても、不足している情報を問い、正確な返事を心がけます。
「正しい情報を得る」点において、当社にない機材で試験を行い、その情報を共有できる友(と呼ぶよりも精神的同僚、同胞)と知り合えたのも幸運の一つです。
しかし、上記考察は結局私自身の立ち位置で得た結論であり、本当の答えはご自身で発見してください。ここまでくると、デカルト先生にお出まし願わなければどうにも答えが見つかりそうにないので、思考を他にそらす事にします。