マツダとアイディンティティー
昨日「東洋経済オンライン」を読んでいました。
そこでマツダが販売する現在の似通った販売車種に良い点と悪い点を認めつつも、助言が添えられていました。
アイディンティティーとは英語なので、私には馴染みがなためここではイタリア語の「Identita'」(イデンティタ)か自己同一性と表現します。IDとは(イタリア語ではDI)はアイディンティティードキュメントであり、自己を証明する書類の意味です。
自己同一性を示すのに、国(または役所)の発行する書類に頼るのも、なんだか愚かしいようにも感じますが、現代社会では仕方のない事です。しかし、法人たるマツダの自己同一性は一体何が保証し証明するのでしょうか。これはブランドロゴなどではなく、車(本人)で実証するしかありません。外観と乗り味。これぞマツダと誰もが思う車であれば、その形状はどのようで在っても良いのではないでしょうか?
マツダは、トヨタと競合できない制約も持ち合わせているため、企業戦略が明確です。そこでBMWの様な各国の数%に訴える車作りを行うと明言しています。つまり、現在の手法が正しい様に思えます。逆にBMWは各国の2%に訴える車作りを標榜していたのが、販売数を追い始めた昨今、大きな自己矛盾に陥っている様です。
販売する車両がメーカーの自己同一性を表すと仮定すれば、トヨタもまた完全な自己矛盾(自我崩壊)と捉えられます。これは少々誇張表現で、トヨタは車で自社を表現しようとは考えていないと思いますので、実際は関係ないでしょう。
翻ってセイクレッドグランドの自己同一性はどこにあるのかと考えれば、それは乗り味に求められます。ロードコンタクトテクノロジーと呼ぶ技術を用いて、私の考える水平感の強い車両作りが、当社の「イデンティタ」です。