好きに書いております。
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これまで、全てをブログの文章で伝えようとしてきましたが、上記の四つの発信手段を得た事で、ブログはより自由な表現を得ることができました。そのため最近は書きたい内容を自由闊達に書き記しています。
先日のブログで、テクノロジーの本質という話をしました。要約すれば、人間の脳内にある物をテクノロジーにより物質を介さず表現できれば、より自由を得ることができるのではないか?という事です。細かくはそのブログをご覧ください。
上記のブログ内容を踏まえて、脳内の表現力について考えました。
楽器を介さずに脳から直接音楽を取り出せれば、より自由に表現できる。と、ある一面では正しいと知りつつも、しかしそれは前提条件が不足していると気付きました。
例えば赤ん坊が言語を知らないまま育ったら、勝手に言葉を話すようになるのか?答えは否です。周りが言葉を話し、それを聴き理解する能力を脳が有しているため、言語を理解できるようになります。つまりは言語環境が脳を育むわけです。
ならば音楽についても同様の事が言えるのではないでしょうか?楽器を演奏するという技術的制約がありつつも、楽器の音色に刺激を受け音楽を作る事ができる。もし世の中に楽器がなければ、音楽と音色はとても限定的となり、そこから雅楽、オーケストラ、現代音楽などの複雑な音像を脳内だけで創造し得るかは、かなり怪しいと思います。
楽器という物質があり制約があるからこそ、人間の創造性が芽生えるのではないかと考察しました。
福沢諭吉さんの「不自由の際に自由がある」とは名言だと思います。