テクノロジー信奉を脱却するべきである
西部邁さんはテクノロジー信奉者の危険性を常に訴え続けていました。人間は獲得した新技術を手放すことはない。という事も話されていました。
絵を描く際に必要なのは筆とカンバスです。これを用いて絵を描いて、その絵で誰かを説得したり表現するのが大切であると考えますが、道具の作り手はついつい筆やカンバスの出来不出来に目がいってしまい、議論も仕上がった作品ではなく、道具に終始する場合があります。
筆の作り手はその良し悪しが商売に直結していますし、自分の技術をみせられる訳ですから着目するのは致し方ないところ。ですが、筆の使い手と使われ方を想像しなければ無用の長物になります。いくら素晴らしい装飾や握り心地、使い勝手が良かったとしても、鉛筆で油絵は書けないのですから用途にあった品が求められます。
サスペンションに関しても同様で、構造として素晴らしくとも目的に合わなければならないのです。ですからそれらを集大させるには羽生善治さんの言うところの「対局観」が必要です。細部は技術(Tecnologia)をとことん突き詰める必要はあるし、そこから限界突破(いわゆるブレイクスルー)も起こり得ると思いますが、技術至上主義では道を誤る(方向性を間違う)と私は結論づけました。
カメラに話を移しましょう。
このところの最新技術はミラーレスと呼ばれる機構です。一世代前はデジタル一眼レフです。ミラーレスを八ヶ月ほど使った後、最近デジタル一眼レフを中古で購入しましたが、これがなかなかよろしい。使い勝手は悪いし不便な面も多々あるのですが、写真の質感がしっとりして心地よいのです。
人はデジタルに利便性を求めつつ、その実、アナログの温かみや柔らかさを再現しようと躍起になる。不可解な生物です。タモリさんが行き過ぎたデジタル化はお止しなさいと、20年以上前に話していましたが、それが現実になってきたようです。ここにも冒頭の西部さんの言葉が思い出されます。人は獲得した技術を放棄しないし、更なる欲求で新技術を探究する。悪い事ばかりではないけれど、核爆弾もその一つと考えれば新技術も喜べる事ばかりではないと感じています。
そういった事でテクノロジーを最上段に置くのではなく、そこに置くべきは何であろうかと考える事が大切です。みなさんの立ち位置で答えを出してみてください。私の写真技術は脇に置きますが、二枚の写真はNikon Z6とD800で撮影したものです。何が違うのか感じてもらえれば嬉です。