消波ブロックから思考の旅に出る

 今日は朝の4時に自宅を出発し、静岡県清水市まで納車に行きました。

 東名清水の出口手前に由比パーキングがあります。ここは駐車場の目の前に海が広がり、景色が良いので度々休憩によります。

 フェンス越しですが、海を眺めるとその手前に大きな消波ブロックが大量に並んでいるのが認められます。これだけの大きさをどの様な順番で、どの様な手法で運んだのかとても興味深く、それらを考察しました。

 運搬手法はきっと船で運び、クレーンで落としていったと考えます。当然、端からある程度の規則性を持って並んでいました。大きさもなかなかの物で、どんな型で作るのか?考えた人は凄いと思います。

 上の文章を書いてから「消波ブロック 作り方」でネット検索をすると、簡単に発見できました。金属の型、運搬方法、おおよそ考えた通りです。

 

 最近、娘がたまごっちや人形遊びにおいて「〜の出し方」とか「〜の攻略方法」をスマホで調べて。と頼まれます。便利な道具があるのだから使えば良いとする向きもあるでしょうが、私はまず自分で考え実践し、行き詰まった時にその解消方法としてネット検索をするのが、子供を育てるのには良いと考えます。ネットに限らず、調べれば全ての物事に答えがあると考えるのは、無知の証拠です。または物事には必ず答えが存在する、と考えるのは人間の思い上がりだと思おいます。

 私の様に日々、正解のない物事に答えをだす仕事をしていると、簡単な答えに飛びつく姿勢(この姿勢は子供に限りませんが)を危惧します。ここで思い浮かぶのは企業コンサルタントです。スマホやネットと同じで、直面している問題にわかりやすい答えを当てはめて、いわゆる処方箋を出し「これでOK」ってな感じです。
 あまりにも安直だと思いますね。年齢と経験を重ね、物事の本質に迫る様なコンサルタントの方であれば、大いに重要な仕事を任せられます。しかし、大学を卒業しすぐにコンサルタント会社に就職して、いきなり企業の手法に道を示せる程の能力を持った人間がそんなに多いとは考えられません。
 つまりは会社から授かった教科書「に」、担当する企業「を」当てはめるのです。

 江戸時代の儒学者、荻生徂徠が「事にハマる」と言ったそうです。これは繰り返しこのブログでも書き記していますが、この意味は理論を当てはめるのではなく、何らかの事象に関わり、その内部から論理を生み出す(腑分けする)のだと。しつこく繰り返しますが、論理に事象を当てはめるのではなく、事象に論理を当てはめ(修正)する。
 頭で考えた枠組み(論理)に事象を当てはめるのはまさに滑稽なのだと、腑に落ちます。

 アメリカのプラグマティズム(実践主義)も同様だそうです。「アプライ・トゥ」ではなく「アプライ・イン」だと。因みにイタリアではプラグマティズムは「pragmatica」と言いますが、実践主義というより「考えなしに行動する」という意味を強く含んだ、否定的な意味合いもある様です。

 私は実践主義と理論の二重螺旋階段だと感じています。実践で登り詰め、踊り場に到達し上に向かう階段が見つからない時には、理論により新たな階段を作る、または見つけ、理論の階段を登り、また実践の階段を登る。この繰り返しが大切なのです。

 

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