テクノロジーとIT、自己嫌悪から回帰

 スイスの Logicoolを最近使い始めました。

 動画の編集や使用機材を参考にしている Yuka Ohisi さん がマウスを紹介しており、それを参考に買い求めました。

 https://www.youtube.com/channel/UC1JMhM9TJT7yMLx8ZtbDO8g

 このリンクからYuka Ohisiさんのチャンネルへ飛べますので、よければご覧ください。
パソコン(IT?)関連に疎い私にはチンプンカンプンな言葉が並びますが、面白い部分もありとても参考になりました。

 紹介していたのはLogicool Mx Master3というマウスです。これを買い求めキーボードはクラフトというジョグダイアルの付いた機種を選択しました。
 Apple製品には他の会社の製品を使いたくありませんでしたが、使い続けあれこれ試していると不満を感じる部分もあり、結局はかなりの部分でアップル以外の品を選ぶようになりました。

 今となってはお金があればMac Proを買い、他は全て自分で選ぶのが最善ではないかと考える次第です。それは予算的に一般人の私には厳しいのでMac miniでそれらを構築するのが正しい選択にも思います。

 iMac Proは60万円近い出費になるため、MacBookProの16インチ8コアにモニターとキーボードを接続し、固定で使い、出かける時は単機で動かせばデスクトップとの二代餅もなく高性能な機種を手に入れられるので、それも面白いなと考え始めました。

 しかしアップルに拘らなければ同程度の機能を有したPCはいくらでもあるようです。そうなってくるとなんでもありになって来て、何が何やらわかりません。

 私はパソコンの原体験が初期型iMacだった事もあり、アップル製品に思い入れがあるようです。初代アイフォンもその形状と機能に惚れ込み、あまり新しい技術、製品をこのまない私がかなり早い段階で手に入れました。

 どの業界でも最新の云々、最先端の技術、現代は〜などと語られますが、そうであっても古代ギリシャの哲人たちが示した議題は今もって解決せず、むしろ現代の方がより顕在化し幼稚化していると思います。それら人間の根元を考えた時にサスペンションが・・・とか、ITが・・・などの議論はとても幼稚であり、その空疎な思考に囚われる自分に自己嫌悪を感じるのもまた事実。

 結局、いつの時代も技術・テクノロジーに目を奪われ、人間が人間自身の存在を蔑ろにする事で陳腐化しているのではないでしょうか?

 私が常日頃から感じるのは「昔の人は偉い」、現代人はかくも愚かなのか。という点です。時代が降るにつれ人類は進歩(または進化)するどころか幼稚化(退化)しているのではと錯覚する程です。
 この疑問はある種の確信をもっており、夏目漱石も大正を嘆き明治の尊さに関し、作品で吐露しています。100年前の知識人がこう嘆くのですから、大正、昭和、平成、令和とどんどん馬鹿になるのは必然です。

 ならばなぜ馬鹿になるのか?それは先述した人間本位から技術・テクノロジーがより上位にあると勘違しているからではないでしょうか。
 この技術・テクノロジー志向に警鐘を鳴らしていたのは故・西部邁さんです。あの方が常々大切にしていたのは会話であり、言葉こそが人間を他の動物との違いを生む唯一(と言っても良い程)の物であると公言されていました。
 この提言には私も異論なく同意します。

 長くなりましたが、乗り物に関するテクノロジーは行き着く先、どこまで行っても「乗り物」である以上は、人間を抜きには語れない。むしろ人間はどうあるべきかを議論した先に良い乗り物があるのかもしれません。

下に西部さんが夏目漱石を語る動画のリンクを貼っておきます。この一人語りはとても好ましく、数十回は観る・・・というよりも聴いております。

 https://www.youtube.com/watch?v=cGoM31TqEqs&t=203s

 今回は特段の結論もなく、これにてお仕舞いです。