思考を決める要素

 言語と思考の関連について思う事があります。

 尊敬するデザイナー・奥山清之さんの言葉で、日本語、イタリア語、英語、ドイツ語など話す言語で自分のキャラクターが変わる、というのがあります。私もイタリアへ行くと、自分が少し変わったように感じます。

 京都大学の柴山佳大さんは「自分の思考は自分の物だと思ってきたが、実は大部分が言語(日本語)に支配されていて、その文脈に沿った思考をしていると考えるようになった」との趣旨をテレビ番組で話していました。

 数年前、渋谷にイタリア語の授業を受けるため、毎週山手線に乗っていましたが、そこで話しをする若者たちの言葉を聴き考えたのは、ツイッターなどに代表される「つぶやき」は非常に短文なために思考の展開を行えず、浅薄な発想に至るのではないかとの疑念です。

 私は「思考の展開」と名付けたのですが、ある議題に対し考え、その答えを基に更に考え答えを導く。これを第一展開、第二展開と続けてゆく訓練を自分自身は行っています。

 アルバイトの若者たちにもその訓練をするため、なぜそうなっているのか?なぜそういった行動をとったのか?など疑問をぶつけ、考えさせるように仕向けています。