ドビッシューの月の光

 クラスィック音楽は好きですが、今回は音楽に関する話題です。

 日曜の早朝、西部邁さんの「妻と僕」を読みんがらドビッシューの「月の光」を聴いておりました。とある演奏において、大好きな月の光が奇妙に聴こえます。
 つまり慣れ親しんだ、テンポやタッチではないため不快にすら感じます。そこで辻井伸行さんの演奏を聴いてみたところ、とても心地よい感触を得られました。

 辻井さんの演奏はたくさん聴いていた訳ではないのに、彼の音は私には馴染みがある。辿り着いた結論は「美意識」にあると考えるに至りました。

 つまり間の取り方、音の出し方は好き好きであり、そこから演奏者自らが美しい(良い)と感じる手法をとり、それを曲に載せる。そして受取手(聴き手)は自身の経験から形成された美意識に基づき音楽を判断し、良し悪しを決定するのではないでしょうか?

 バイクの乗り味に関しも同様で、セッティングには作り手の感性という名の美意識の集合体であり、美意識のない人間が作った、セッティングした車両は魅力に欠ける物となります。

 以前にもブログに書いたのですが、だからこそメーカーの車両作りを行う方は思想、哲学を知り芸術性を高めなければ愚劣な車両が大量生産される恐ろしい惨状が発現するのです。

 私の様な街のサスペンション屋であれば、対象となるお客様はごく少数ですが、小さなメーカーですら顧客対象は数十万から場合によっては一千万人超となり得るわけで、であるならば軸となる美意識を鍛えなければならないと、感じます。