受け身の動詞
数年前からTwitterを見ていますが、やはり気になるのは「納車しました」です。
そんな些細なことはどうでも良いと言われますが、言葉を気にする身としては、どうにも気持ち悪いものです。ではなぜ「納車しました」が間違っているのかを説明します。
納車はする方と、される方の二者がいて成り立ちます。バイク屋さんや販売側は納車「する」側。買いて・受け取りては納車「される」側。これを言い換えると追突事故でぶつける側とぶつけられる側に分けられます。前者は「する」側。後者は「される」側となるのは理解いただけるでしょう。
それでは事故でぶつけられた人が通常「ぶつけました」と表現するのでしょうか?しないでしょう。「ぶつけられました」というはずです。このことから買い手側は「納車されました」が正しいのです。「された」がやや嫌な表現に感ずるならば「納車していただきました」等の丁寧表現をすれば良いのです。イタリア語を学ぶ中で日本語の文法も気になり出したのですが、これは受け身の表現です。する、ではなく、される。
ならばなぜ「納車しました」と表すのでしょうか。時代の流れですね。言葉は変化するものですし(私はそれを是としませんが、100年前の人からすれば私の日本語も品格にかけることでしょう)、現代の教育が国語を蔑ろにして米国語を推奨しているのですから、言語の衰退はより顕著です。
本日は整備に関わる試験を受けましたが、そこの問題ではカタカナ英語に溢れていました。横文字をそのままカタカタにするのは簡単なのでしょう。その所為で文章はカタカタ英語で溢れ、カタカタ英語を日本語の助詞、接続詞でつなげるなんとも悍ましい文章になっていました。
巷に溢れる文章も同様です。平仮名、カタカナ(カタカナも古くからある日本語だそうです)、漢字で構成される文章を発見するのは現代においては困難です。それもあり、私の文章では極力カタカナ英語は忌避している訳で、殆ど見当たらないのです。仮に使うのならば単語の意味を調べ、仕方なく使う程度の代物です。例えば上に文にある「バイク屋さん」も二輪車屋さんと言い換えたいくらい。ですが、やや不自然なのでここはグッと堪えてバイク屋と表現するわけで間違ってもバイクショップなどとは言いたくない。
他にも小池都知事が「パラダイム」と言って少し騒がれていました。私はパラダイムの意味を知っていますが、知っているなら日本語で規範とか模範などと言えば良いだけで、カタカナ英語にする必要性が私には理解できない。そういう輩は大衆が理解し難い単語を持ち出してケムに巻こうとしているのでしょう。だからそういう人間を私は信用しない。
そう言えば懸架装置(ショック、ダンパ)やカメラなどにおいて「ダイナミック」という表現があります。これを皆さんはどのように訳すのでしょうか?私はイタリア語の字引から学んだ「活動」または「活動領域」といつも脳内変換しています。なんだかよく分からないカタカナ英語で理解した気になって、本当の意味を知らないままというのは私自身も度々経験しうる事態です。もう少し言語を学び頭が良くなりたいと感じています。