専門職、スペシャリスト

 専門職やスペシャリストと呼ばれる人たちに対する巷間の印象は、一般に良好な物だと感じています。

 スペシャリストの対語がゼネラリスト(ジェネラリスト?)なのか、そうではないとの意見も目にした事もありますが、一応そうだと定義した場合に、どちらが大切なのかという議論は、意味をなさないのではないでしょうか。その前提は、バイクにおけるエンジンとタイアのどちらが大切か?と同義だからです。両者ともなければバイクは走りません。

 私が言いたいのは、専門家の意見とは一辺が1mmの対象を顕微鏡で拡大して、重箱の隅をつついているような物だという事です。それが無駄な行為という意味ではなく、それが最上位に来るのが間違っていると思っています。言い換えると専門家の意見を全面的に採用するのは、大きな間違いを犯すとの意です。私自身も専門家の意見や知見をただ受け入れるのではなく、疑ってかかります。可能ならば計測や実証を行い、それが本当に正しいのか確かめられたなら最良です。

 だから、サスペンション屋のいう事は所詮、一つの視点、参考意見程度に留め、あまり神経質に受け止める必要はありません。乗り手が正しいと思える行為が一番大切です。しかし、明らかに乗り手が間違った振る舞いを行う場合もあります。その場合は自らを省みて、素直に耳を傾ける必要があります。極論は状況次第という事になります。

 以前ブログに書いた「筋が通っているから正しいわけではない」の条件は、論理、理屈が通っていても立脚点が間違っていれば間違った答えを得られる。つまり方程式が正しくても入力した数値がでたらめなら、何の意味もない訳です。人は分からない事に対して、自分の理解の範囲に事を当てはめる傾向があります。自分自身もそうだと思います。それを見極める能力も高めて行きたい。

 

 駄文   ここまで書いてきましたが、一時間弱も掛かりました。ブログを書く際は、宣伝的な紹介ならばそれほど難しくありません。上記のような内容は、以前から疑問や問題定義をしたい題材を脳内で練り上げ、書き綴り文字お越しの過程で矛盾、または句読点の位置、言い回し、読みやすさに誤字脱字を確認します。小学生のころから作文が好きでしたから、その特性が活かされているようです。三つ子の魂百までとはこの事か、と感じます。